戦前台湾で巨大かんがい施設故八田技師 石碑建立へ今秋、金沢の生家前に (転載)

日台交流
戦前台湾で巨大かんがい施設
故八田技師 石碑建立へ
今秋、金沢の生家前に


台湾にある八田与一技師の銅像とダム湖が写った冊子を手にする中川外司事務局長=金沢市田上町で
 戦前に台湾で巨大かんがい施設を建設し、不毛の地を豊かな地に生まれ変わらせた金沢市出身の故八田与一技師の功績を知ってもらおうと、「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」は生誕百二十年を記念して今秋、市内の生家前に石碑を建てる。同会事務局長の中川外司さん(69)=金沢市=は碑から「どんな環境でも精魂込めて仕事をすれば評価される。誠心誠意、人のために尽くす姿勢を学んでほしい」と話す。

  (報道部・沢田一朗)

 八田技師は一八八六年同市今町生まれ。東京帝大土木科を卒業後、日本統治下の台湾総督府に赴いた。水利土木事業に携わり、荒れ地だった南部の嘉南平原(十五万ヘクタール)に巨大ダム湖と一万六千キロに及ぶ給排水路を十年かけて建設した。

20060625234651.jpg台湾にある八田与一技師の銅像とダム湖が写った冊子を手にする中川外司事務局長=金沢市田上町で
八田技師は一八八六年同市今町生まれ。東京帝大土木科を卒業後、日本統治下の台湾総督府に赴いた。水利土木事業に携わり、荒れ地だった南部の嘉南平原(十五万ヘクタール)に巨大ダム湖と一万六千キロに及ぶ給排水路を十年かけて建設した。

 さらに水を有効利用できるよう三区画に分けて水稲、サトウキビ、穀類を輪作することで巨大穀倉地帯を作り上げ、発電とともに台湾発展に大きく寄与した。「当時、想像もできないほどスケールの大きい工事を、最新の大型重機で成功させたのはすごい」

 日本の統治下だったが、台湾の人と分け隔てなく接し、工事だけでなく働く人の健康や福利にも尽くした八田技師は農民らに慕われた。亡くなった後も現地の人により夫妻の墓と銅像が建てられ、毎年、命日に法要が営まれている。

 中川さんが八田技師を知ったのは二十三年前。夫妻の法要に参加するようになり、一九八九年に今の前身の会をつくり、現地の人との交流も始まった。やがて台湾全体に広がっていったことから現在の会の名称にした。

 「李登輝前総統も尊敬する日本人に挙げるくらい、台湾では慕われているのに、日本では十分知られていない。私の役目は、多くの日本人に功績を伝えること。特に将来、海外で活躍する子どもたちに対して」

 石碑建立の協賛金は、ほぼ集まり、八田技師の子孫の許可を得て十一月に生家前に設置する。併せて「八田与一技師資料展」を、同市のふるさと偉人館で開く予定だ。


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