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本州最北端の日台交流-大間町の天妃(媽祖)祭に参加して 【中西 功】青森李登輝友の会

大間天妃様祭り
本州最北端の日台交流-大間町の天妃(媽祖)祭に参加して

                  青森李登輝友の会事務局長
                   青森日台交流会事務局次長 

                        中西 功

 なぜ大間に媽祖(まそ)様が祀られているのか。これが初めて天妃祭の話を聞いた時の私の率直な疑問だった。そして天妃(てんぴ)祭に参加した今、その疑問は驚きと尊敬に変わった。中国や台湾と特別深い関わりがあったとは思えない北の地で、300年以上も前に遷座された異国の神様を今なお信仰しているという事実に驚くとともに、長い年月その信仰を続けてきた歴史の重さ、そして現在このような盛大な祭にした町の人々の情熱に尊敬の念を抱いたのである。

 青森県下北郡大間町は本州最北端に位置し、「大間まぐろ」、NHK連続テレビ小説「私の青空」、「大間崎」が全国的に有名な、漁業と観光を中心とした町で、人口は6,400名余りである。この町では毎年海の日に天妃祭が行われ、今年(2006年)は7月16日に宵宮祭、翌17日に本祭典が行われた。

 
予報では雲行きが心配された本祭典であったが、前夜の宵宮祭の祈祷が天に届いたのであろうか、当日は歩いているだけで汗ばむほどの晴天だった。朝8時より稲荷神社で始まった祈祷には、金澤満春町長を始め町議会議員、観光協会、漁業協同組合といった町の中心人物、そして日本媽祖会、青森日台交流会、日本李登輝友の会本部や青森李登輝友の会
といった日台交流団体が参列した。神主が祈祷し、獅子が舞い、そして御神酒が振舞われる本祭典は、神様が天妃様であることを除けば全く日本の祭である。明治6年(1873年)に稲荷神社に天妃様が合祀され、平成8年(1996年)から祭が行われるようになったことで、より身近な神様になったからなのだろうか。

 祈祷が終わると祭は海の町大間の装いに変わる。大漁旗やまぐろのぼりで彩られた10隻程の船が海へ繰り出すのだ。我々は千代谷誠町議会議員の船、日本媽祖会は大見光男青森李登輝友の会会長の船にそれぞれ乗船させていただき後に続いた。船は港内を何周か回ってから外海へ出ると、全ての船が一列に並び、御札を海に沈めて大漁を祈願する儀式が
行われた。

 30分余りの海上運行を終えた船が港に戻ると祭は終盤に差し掛かる。天妃様行列が町内を練り歩くのだ。行列には天妃様の守り神である千里眼(遠くの動きを監視する神)と順風耳(遠くの悪巧みを聞き分ける神)も加わり、龍が踊り、銅鑼や爆竹が鳴る台湾式のものである。そして金澤町長や町の中学生が在日台湾同郷会旗を持って歩く姿は、沿道で見物する多くの人に台湾を深く意識づけ、関心を持った子供達からはそれが何の旗か質問される場面もあった。

 宵宮祭と祭典の祈祷、天妃様の海上運行、青空に届かんばかりの激しい爆竹音。天妃祭は正に日本と台湾、そして海の町大間が見事に融和された祭であった。しかし、漁業の町で長年海の安全を守ってきた神様が現在日台交流の象徴になるとは、神様だって予想していなかったに違いない。
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 天妃様とは、台湾では媽祖様として広く信仰されている航海や漁業の安全を守る女神様である。大間町と媽祖様の縁は、元禄9年(1696年)に伊藤五左衛門が天妃媽祖大権現を遷座したことに始まる。勧請300周年の平成8年(1996年)、同町観光協会会長であった大見光男氏(現青森李登輝友の会会長・県議会議員)の発議により天妃祭が始
まった。祭でお目見えする本尊分身や千里眼、順風耳、その他行列用品は、台湾の媽祖信仰の総本山であり、現在稲荷神社と姉妹宮にもなっている台湾雲林県の北港朝天宮から寄贈されたものだ。 


                             以上
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