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拉致被害者救出の青森県民集会に参加して 青森日台交流会    阿貴

拉致問題
拉致被害者救出の青森県民集会に参加して

                         青森日台交流会    阿貴

平成18年8月12日(土)青森市ぱるるプラザで開かれた「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための青森の会」に参加しました。この日はお盆期間中にもかかわらず、会場には市民約800人が訪れた。講師を務めるのは北朝鮮による拉致被害者横田めぐみさんのお父さんで、被害者家族会代表の茂さん(73才)とお母さんの早紀江さん(70)です。横田さん夫妻は1997年に救出活動を始めてから、今年で9年目になり、そして行った講演会回数は1000回を上回ったという。また茂さんは飛行機が苦手で、全国各地を回るのに、苦労しているようです。横田夫妻そしてすべての拉致被害者家族の願いは唯ひとつ、それは「離れ離れになったかけがいのない家族を一刻も早く救出すること」です。

司会は同会の幹事長村上氏で、あいさつは代表の成田義人氏が行いました。救う会よりは全国協議会事務局次長山岸丈良氏が説明しました。山岸さんの話では、昭和30年ごろ~昭和50年半ば北朝鮮による拉致は多く発生した。そして平成10年(1997)、めぐみさんが失踪と思われて20年経った頃に拉致がはっきりした。この時から横田さん夫妻は実名を出して、救出活動を行ってきた。そして拉致被害者家族を支えよう支援しようという思いで新潟、東京、関西を始め、全国に救う会、家族会が結成されました。そして救う会は日本だけに止まらず、アメリカなど国際社会に訴え続けている。「今年こそ拉致被害者を帰国させたい。めぐみさん達は生きている。経済制裁の圧力ですべての拉致被害者を救出しよう」などです。

横田茂さんの話は1997年(昭和52年)にめぐみさんが失踪した時に、警察を始め、いろんな方々が協力して、一ヶ月で延べ3000人が探しましたが、何の情報もありませんでした。20年後(平成9年)、元北朝鮮工作員の情報で、めぐみさんが平壌にいるということが分かりました。多くの日本人がこの事を知ったのもちょうどこの頃です。そして日本政府が救出活動を活発に行ったのは平成14年9月の頃でした。約2年後5人の被害者の子供達が帰国しましたが、北朝鮮はめぐみさんを初めほかの拉致被害者は死亡したと発表しました。けれど根拠もない、信憑性も低い、だからあきらめない、めぐみ達が帰ってくるまでは、と話しました。また「拉致問題の解決なしでは、日朝国交正常化はできません」と強く訴えました。

続けて横田早紀江さんの話では。めぐみがいなくなって20年、長い年月めぐみを探しました。海も山も探した。事件、事故あらゆる恐ろしいこと、すぐにめぐみじゃないかと思っていた。拉致は北朝鮮の国家犯罪だ。早く助けなければ、助かるものも助からない。19年前署名活動から始めたが、当時だけじゃなく今でも拉致を知らない、拉致を疑うという方がいる、これはとても悲しいことです。けれどくじけるどころか、さらに強く決めた。「どんなことがあっても、お母さんは助けてやる」と心に誓ったと涙を流しながら語りました。

そして質疑の部分では励ましの言葉が次から次へと述べられました。会場の人々が拍手の行動で賛同の意を示しました。激励の言葉は以下の通りです。「このお母さんは何もほしくない、ただ自分の娘を抱きしめたいだけ、なぜ実現できないんだ」「めぐみさんが帰ってくるまで、どうぞ横田さん夫妻体に気をつけて待ってください」などでした。

この講演会に参加して、横田さん夫妻は年を取りましたねという印象を受けました。茂さんも一度体調を崩したようで、横田さん夫妻は長年娘のために、こんなに頑張っているのに、なぜ報われないんだろう。拉致問題はいったいいつになったら、解決するんだ。日本人が日本で拉致されたのに、議員をはじめ、日本政府はもっと積極的に、一刻も早くすべての拉致被害者を助けてほしいです。皆様、一緒にブルーリボンをつけて拉致被害者家族を応援しましょう、全面解決の日が来るまで。
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