含蓄ある許世楷大使の「双十国慶節」スピーチ

日本李登輝友の会
以下はメルマガ「日台共栄」より転載です

2>> 含蓄ある許世楷大使の「双十国慶節」スピーチ

 去る10月5日、10月10日の双十国慶節を前に、台北駐日経済文化代表処(駐日台湾大使館に相当)が主催する記念祝賀パーティーが東京都内のホテルで開かれた。

 代表処のホームページによれば、日本の国会議員約200人、海外の駐日機関代表20人余をはじめ、日本の各界で活躍する僑胞代表と日本の政財界、文化人ら合わせて出席者は2000人を超え、盛会だったという。

 双十国慶節とは、中国人である袁世凱や孫文、あるいは蒋介石がかかわって造った中華民国の建国記念日であり、革命伝説を創作して神秘化した、いかにも中国的な歴史捏造の産物でしかない。2・28事件や白色テロをはじめとする蒋政権の独裁政治に辛酸を舐めた多くの台湾人にとっては、まことに迷惑な話である。

 この双十国慶節については、すでに昨年10月発行の機関誌『日台共栄』第9号において、「双十国慶節をなぜ祝うのか-中国の『政治神話』から解放されるべき台湾国民」と題する編集部記事を掲載し、ホームページの「機関誌『日台共栄』」欄からも検索できるので
ご参照願いたい。

■日本李登輝友の会ホームページ:http://www.ritouki.jp/
 ここでは、そのような由来を持つ双十国慶節の祝賀会において、許世楷大使がどのようなスピーチをしたか紹介したい。

 許大使は冒頭「わが国の記念日のお祝い」と挨拶しただけで、そのスピーチの中には一言も「中華民国」という言葉も建国記念日という言葉も出てこない。すべて「台湾」で通している。

 また、「自由民主」をキイワードとして、その価値観を共有する台湾と日本の関係がますます緊密化していることを強調し、参加した「華僑」と言われる人々に対しても、中国がいずれ民主化せざるを得ないことを訴え、「ここに見えているということは、歴史の主流の側を選択した同志でありましょう。賢明な選択だ」と諭している。

 含蓄ある意味深長なスピーチである。以下に紹介してみたい。      (編集部)
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国慶節祝辞 台北駐日経済文化代表処代表 許世楷

【10月5日付 台湾週報】

 皆様、今日はわが国の記念日のお祝いにご出席下さり、ありがとうございました。私の挨拶は、すでに印刷してお配りしていますが、日にちもたっていますので、ここでは別の形でお話させて頂きます。

 ある台湾の雑誌が長年台湾人の外国に関する世論調査をおこなっています。それにはあなたが最も敬服している国はどこですか? あなたが最も旅行に行きたい国はどこですか? 移民したいとすれば、あなたが最も行きたい国はどこですか? という三項目の質問が含まれています。これまでいつも第一位は米国でしたが、近年日本が第二位にのぼってきました。しかし今年は日本が第一位となり、米国が二位となって逆転いたしました。

 これには去年日本が台湾の観光客にノービザの措置をとったことが大きく作用しています。これは便利になったということだけでなく、十二年来台湾は日本の観光客にノービザ措置をとっていたので、平等互恵の問題でもあり、台湾人は日本が尊重してくれた、お返しをしてくれたと感じたからだと思います。

 また去年日米安全保障協議会2プラス2の共同声明で、日本は中国が武力で台湾を併合することに反対を表明しました。台湾人は、日本は台湾の安全について気を使かってくれている、友達だなと感銘しています。

 台湾が日本と親しいのは、基礎として両国に特別な歴史的、地理的関係があるからだけでなく、九十年代に台湾が民主化してからは、加えて、自由、民主という価値観および制度が共通するようになったからです。自由民主の国だからお互いに安心してノービザ措置が取れる。また自由民主の国を、一党独裁の国に併合させるわけには行かないというわけです。

 中国人のインターネットによる世論調査で、67%の人が再び生まれるとしたら中国人に生まれたくないと答えています。理由としては幸福な人生が送れない、あるいは人間としての尊厳がないということであります。

 現在台湾で一部の人たちが陳水扁総統罷免座り込み運動を行っています。それを見て対岸の中国人は、私たちも台湾のような自由がほしいと羨ましがっています。

 また座り込みの人たちは自らを中国の天安門事件の民主化運動になぞらえていますが、事件主役の一人であった王丹さんは、その時自分たちは自由民主のない一党独裁政治に対して民主化を主張したのであり、今の座り込みの人たちは自由民主政治の下で、制度から外れた手段によって民主政治を破壊しようとしていると批判しています。

 実際総統罷免案はすでに一度立法院で提案され、否決されました。今再度提案され、この13日に表決があるのですが、三分の二の多数を得て通る見込みがないことはわかっています。総統罷免案が通らないなら、内閣不信任案で行政院長を倒せとと八つ当たりしています。それがだめなら座り込みで社会を不安に陥れて、陳水扁総統を倒せと強要していま
す。少し早いが2008年の総統選挙まで待ちきれず、政権交代を叫び、すでに総統選挙運動に突入しているわけであります。自由民主政治が成熟するまでには紆余曲折がありますが、台湾は座り込みの最中でも総統は国外訪問をして無事に帰ってきていますし、またデモで死傷者が出てもいません。私は台湾の自由民主政治に自信を持っています。

 自由民主は世界史の流れの主流であります。現在中国は台湾に比べて強大に見えるかもしれません。しかし台湾はすでに民主化し、中国はまだ選挙もない一党独裁国家で、いずれは民主化の荒波に見舞われます。

 今日ここには多くの華僑も見えています。ここに見えているということは、歴史の主流の側を選択した同志でありましょう。賢明な選択だと思います。日本社会における生活もスムースになりましょう。

 今日ここにいる私たちは、自由民主の価値観を共有するもので、流れの同じ側に立つ同志です。ともに手を携え、台湾、日本友好のために、自由民主のために努力することをお願いします。
4>> 東京新聞が「特報」で2・28事件の日本人犠牲者について報道

【10月9日 東京新聞 特報】

『反乱分子』邦人も犠牲? 台湾2・28事件遺族が調査

 一九四七年、国民党政権が台湾住民に血の弾圧を加えた二・二八事件。間もなく六十年がたつが、この事件について、一人の台湾人女性が「日本人も悲惨な歴史を忘れないでほしい」と訴えている。複数の日本人が「反乱分子」と名指しされ、犠牲になった可能性があるためだ。土着の台湾人エリートが標的となった二・二八事件で、なぜ日本人が狙われても不思議ではなかったのか。(浅井正智)

 「私が話さなければ、殺された日本人は歴史から消えてしまう。やはりほっておくことはできない。これは良心の問題なのです」

 先月に来日し、今月にかけ二・二八事件に日本人被害者がいる可能性が高い、と各地で講演した台湾人の阮(げん)美[女朱](みす)さん(77)は、そう語り始めた。

 二・二八事件は終戦直後、中国大陸から台湾へ渡ってきた国民党が、日本統治時代に教育を受けた台湾人エリート層などを「反乱分子」として虐殺した事件だ。事件後に敷かれた戒厳令は一九八七年まで続き「白色テロ」と呼ばれる暗黒政治を生み出した。事件は大陸から来た外省人(戦後、中国からの渡来者)に対する本省人(戦前からの台湾在住者)
の根強い不信を生む原因になった。

 阮さんは本省人で、同事件で父親を失った遺族である。四七年三月、父の阮朝日(げんちょうじつ)さん=当時(46)=は台北市内で五人の男に自宅から連行された。これを最後に、二度と戻ってこなかった。日本で高等教育を受けた父親は事件当時、日刊紙の社長を務めていた。

 その後、国民党政権は被害家族が事件について発言すれば拘束すると、恐怖政治で事件を封印しようとした。だが、阮さんは周囲の「危険だから」という注意も振り切り、父の消息を求めて関係者を訪ね歩いた。

■容疑者リスト『地下工作者』2人

 事件から半世紀、国民党が反乱を「首謀」したとして二十人の容疑者を挙げた資料を発見した。このリストに父の名前が記されていた。やはり父は「反乱分子」として殺害されていた。

 日本人の被害者がいる可能性も、父のことを調べる過程で浮上した。二人の日本人らしき名前がこのリストの最後に載っていた。

 一人は「堀内金城」。所属は「(元台湾総督府)工業研究所技師」で、「日本が台湾に残した地下工作者」とある。もう一人は「植崎寅三郎」で「日本が台湾に残した地下工作者」とだけあり、所属は書かれていない。二人とも「台湾人の反乱を策動した」「日本の地下スパイ網を組織し軍政情報を探り出した」との容疑がかけられている。

 二人の身元は分かっていないが、リストに載った阮さんの父親や他の台湾人が処刑されていることを思えば、この「日本人」も命を落としたと考えられる。

 日本人らしい被害者は二人にとどまらない可能性がある。阮さんはことし、『台湾二二八の真実』(まどか出版)を出版した。その後、数人の日本人から「私の肉親も巻き込まれたかもしれない。調べてほしい」という連絡を受けた。

 しかし、阮さんは「父のことを調べるだけで五十年かかった。日本人被害者の実態解明は、もう私の年齢ではできない。後は日本人自身の手に委ねることで、私にとっても一つの区切りをつけたい」と話す。

 ところで、なぜ日本人が二・二八事件に巻き込まれた可能性があるのか。

 太平洋戦争に敗れ、日本は台湾領有を放棄したが、その後も日本人は技術者ら約七千人、その家族二万人が台湾にとどまった。国民党政権が、日本人を台湾経営の人材として残して利用する「留用」という措置をとったためだった。

■国民党技術利用の裏で弾圧も

 「大陸から渡ってきたばかりの国民党には、台湾を治めるための技術やノウハウがなかった。行政事務のほか鉄道事業や工場経営で日本人技術者の力が不可欠だった」。台湾で今春、二・二八事件を扱った著書『台湾・激動の戦後史』を出版した台湾史研究家の末光欣也氏はそう語る。

 それにしても、日本人の技術を重宝がりつつ、他方で弾圧するということは矛盾しないのだろうか。

 歴史小説『台湾処分 一九四五年』(同時代社)の著者で、自ら三〇年代後半から戦後の四六年まで台湾で暮らした鈴木茂夫氏は、次のように解説する。

 「国民党は日本人テクノクラートを利用する一方、政権の正統性を保つため日本の植民地支配を非難し、台湾に残る日本文化を根こそぎにしようとした。日本人を利用することと弾圧することは、彼らにとって本質的に矛盾しなかった」

 実際、事件発生後、当時の台湾の行政長官兼警備総司令官だった陳儀(外省人で、後に中国共産党に協力し、公開処刑)は、国民党を率いた蒋介石にあてた手紙の中で「(日本の統治に協力的だった)御用紳士や台湾に残る日本人たちが、反政府活動に加わっている」と二・二八事件と在留日本人を関連づけている。

 事件からすでに五十九年の歳月が流れたが、東京都内に住む青木妙子さん(78)=仮名=は叔父(父の弟)が二・二八事件の犠牲者ではないかと考えている。

 叔父の名は反乱分子リストに載っていたわけではなく、被害者だった確たる証拠もない。それでも、状況が符合するとみている。

 叔父は日本統治下の台湾に渡り、製糖工場の責任者を務め、戦後も現地にとどまった。亡き父は生前、自分の弟が「戦後も国民党から請われ技術を伝えるため台湾に残った」と青木さんに話していた。叔父も「留用」された一人だった。

 戦後三年目、叔父一家が帰国したとき、駅には叔母と三人の幼子はいたが、叔父の姿はなかった。

 青木さんは叔父が「引き揚げの前日、結核で亡くなった」という叔母の話をずっと信じていた。真実を知っているはずの叔母は何も語らぬまま他界した。

 しかし、七年前に死亡した親類の一人が生前、叔父は「病死ではない」と明かしたことがあった。歴史に詳しい知人から「二・二八事件に巻き込まれたのではないか」と指摘されたこともある。今年になって阮さんの本を読み「そうに違いない」と直感した。

 青木さんは真相を知りたいと考えているが、厚生労働省の担当者は「戦後、台湾に残った人がいたのは確かだが、日本人が二・二八事件に巻き込まれ、命を落としたかどうかについては調査しておらず、資料もない」と素っ気ない。

 二・二八事件の真相解明は国民党の李登輝政権が九二年、刑法を改正し、言論が自由化されるとともに進んできた。二〇〇〇年に国民党に対抗する台湾本土派の民進党が政権を奪い「(二・二八事件は)当時の最高権力者、蒋介石に責任があり、国民党が起こした計画的殺人だった」と断じられるまでになった。

 だが、青木さんは一抹の不安を抱えている。〇八年の台湾総統選では、国民党の馬英九主席の当選が有力視されているためだ。

 「国民党政権になれば真相解明が進まなくなり、叔父の件も分からずじまいになりはしないだろうか…」

<メモ>2・28事件 1947年2月27日、国民党政権による台北市内でのヤミたばこの取り締まりをめぐって起こった市民殺傷事件を契機に台湾住民の暴動が発生。28日から国民党政権への抗議活動が台湾全土に広がった。政権は日本統治時代の教育を受けた台湾人エリートを無差別に連行し、処刑するなど激しい弾圧を行った。犠牲者は推定1万8000人から2
万8000人で、行方不明の人も多い。

<デスクメモ> 安倍首相の祖父、岸信介氏は台湾の蒋介石氏とじっこんの仲だった。ともに他界し、いまさら二・二八事件の日本人問題を聞くわけにもいかない。そもそも下々の民のことゆえ話題にも上らなかったかも。ところで本社移転に伴い「こちら特報部」の
FAX番号も本日から変わりました。今後ともごひいきに。(牧)
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2007.03.03 (Sat) 03:22 | 台湾を考える
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