台湾人の悲哀と心声

台湾文化研究発表会
以下の原稿は平成18年10月29日(日)に拓殖大学で行われた
第五回台湾文化研究発表会(主催・榕社)での私の発表原稿です。
尚当日は客家語で発表しました。

       青森日台交流会 出町 淑貴(阿貴)


テーマ 台湾人の悲哀と心声

(1)日本で知った台湾教育の真実

 1996年、台湾で日本人と台湾人が合同で経営している会社に入社し、2ヶ月ほど青森県に研修するために、初めて日本に来ました。初めての出国、初めての日本、何もかも新鮮でした。日本にはとても興味があったので、研修生活はとても充実していました。けれどもあることに気付きました。台湾で認識していた「日本」と、日本で認識した「日本」とは全く違う。なぜなら学校で教わった「日本人」の印象はあまりいいものではありませんでした。いわゆる「反日教育」です。日本は南京大虐殺に象徴されるような侵略国だと思ったのです。97年11月、日本人と結婚し、青森市で暮し始めました。本当の日本を知ったのは、それからでした。そして台湾の教育がいかにおかしなものであるかに気がつき始めました。南京大虐殺は中国人が着せた濡れ衣でした。私は自分が中国人であると教えられましたが、それ自体も誤りでした。
(2)台湾人としての心境の変化

私は日本に来る前、日本語を少し話せたため、日本での生活は大丈夫だと思っていました。けれどそれは大間違いで、片言の日本語では全く役に立たない事が分かりました。「津軽弁」にも苦しみました。また雪国の生活にも、慣れるまで約5年もかかりました。友達もなく、実家も遠く、とても苦労しました。そして「いままで台湾で生きた20年は、無駄ではなかったのか」とまで考えるようになりました。なぜならそこでは台湾の文化、言葉は全く通用しないのですから。

私の人生に変化があったのは平成17年2月のことです。在留期間の更新した為、外国人登録証明書を持って役場に行きました。そして来日してから8年間、ずっと疑問に思ってきた問題を提起しました。それは登録証明書の国籍欄で私の国籍が「中国」となっていることです。「私は台湾人です、中国人ではありません」と役場の方に言ったのです。しかしそこでは解決できませんでした。私は結局怒りを抑えきれないまま家に戻りました。そこで繋がったばっかりのインターネットを使い、この問題について調べたところ、すでに平成13年から東京で、正名運動をやっている団体があることを知りました。この時から私はこの問題の解決に取り組みたいと思うようになりました。そして私自身が台湾人という意識もとても強くなりました。

(3)「国語」強制で奪われた客家語

私は客家人ですが、完璧な客家語で話すことは出来ません。私の知る限り、私の家では代々客家人同士で結ばれています。ところが父親の世代までは。家庭では客家語を使っていたのですが、私達の代になると、完璧な客家語を使えなくなるのです。これは不思議な現象ですね。私は小学校6年生まで、三代同堂で暮らしていました。それなのになぜ私達の世代になって、自分達の言葉を失いつつあるのでしょう。それは「国語」のせいです。国語とは北京語の事です。

中国人の国民党政府は戦後勝手に台湾を不法占拠し、日本文化と台湾文化を抹殺するため、「228事件」や「漢化」など、台湾人に良いことはひとつもしませんでした。そして言葉の面でもまた、中国の北京語を台湾の「国語」と定め、学校や公の場で、それの使用を台湾人に強制したのです。ホーロー語も原住民語も、そして特に日本語も同じことで、「国語」以外の言葉は、すべで禁止されていたのです。私の家の中では、日本教育を受けた祖母は日本語と客家語話しますが、でも北京語は片言しか出来ません。私の両親は客家語と北京語で話します。日本語はうまく出来ないけれど、ある程度は出来ます。そして私の世代になると、主に北京語を話します。客家語はある程度分かるけれど、言葉では上手に表現できません。これは悲しいことですね。家族みんなが客家人なのに、客家語を話せない若い人は増えているようです。ホーロー語や原住民語も同じ状況にあるようです。

(4)いつ台湾人意識が芽生えたのか

私が小学生の時には、まだ学校では客家語を話してはいけないような状態でした。私は言葉の問題に困惑して頭が混乱しました。「なぜそのようになるのか」と大人に聞いても、誰も教えてくれませんでした。そのせいで私はずっと自分の祖先は中国からやってきた人間だと思ってしまった。私はそれが嫌でした。陳水扁さんが初めての総統選挙の時に、「私達は台湾生まれ、台湾育ちの台湾人だ」と言ったことに感動し、その時から私は、台湾人意識が強くなりました。そしてその後で私が知ったことは、台湾人は漢民族ではなかったということです。台湾人のDNAは台湾原住民と同じなのです。これは多くの台湾人が知らされていない隠された事実です。

(5)団結するべき台湾人

昔から「客家人はなるべく客家人と一緒になるように」といわれ、私も両親からそう教わりました。父の弟がホーロー人と結婚する時には、家族から反対されました。私の姉もホーロー人と結婚しました。反対はされなかったけれど、大々的に歓迎されることもありませんでした。やはり客家人はホーロー人とお互いに対抗意識がまだあるようですね。だから一部の客家人はホーロー人の人に政権を握らせたくないから、外省人の中国人に票を入れるのでしょうか。でもそれは決して正しい選択ではありません。昔はホーロー人や客家人、あるいは原住民との間で争いはあったけれど、みな同じDNAの台湾人ですから、つまり同じ台湾民族ですから、台湾国建国の為に、みんなが団結して、中華民国体制を打倒するという道しかありません。国民党政府は所詮中国人政府なので、台湾は台湾人の国であるということを真剣に考える訳などありません。今では一部の外省人も「自分は中国人じゃない、台湾人だ」と言い始めているのに、なぜ台湾生まれ台湾育ちの台湾人の中で、中国統一を掲げる国民党を支持する人が大勢いるのか、私には理解できません。「それでも本当に台湾人ですか」と疑います。私は「台湾人よ立ち上がれ」と言いたいです。

(6)台湾文化を大切にしたい

自分達の文化を大切にしなければ、そのようなものはすぐに失われます。だから私は客家文化を大切にしたのです。子供達にも客家語を教えています。将来子供達が客家語で両親と会話出来る日が来るのを楽しみにしています。そのほか、青森で台湾客家料理教室を始めることにしました。ホーロー人も原住民も客家人もみんなそれぞれの文化を守るべきでしょう。そしてその上で、お互いの文化を尊重し合いながら団結し、台湾人の台湾を建設していかなくてはならないと思います。台湾の文化を圧殺して来た中華民国体制はもうごめんです。

(7)建国運動に参加する決意

私は今微力ながら、青森で同志とともに誇りを持って「日台交流」「正名運動」を推進しています。青森での生活は最初の頃は苦しかったし、逃げだしたかったけども。でも私がここにいるのは、もしかしたら神様から使命を与えられたからかもしれません。今では日本に来られて、本当に良かったと思っています。これからは「台湾建国」「日台交流」「日台共栄」のために捧げたいのです。
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コメント

お疲れ様でした

大変お疲れ様でした。
当日は参加できずに申し訳ありません。
ですが、首都圏の台湾派同志が阿貴さんを歓迎したことと思います。
これからも日台関係をさらに広く、深く、強いものにしていきましょうね!!

2006/11/04 (Sat) 02:27 | 宮本将英 #o5I/Ecc2 | URL | 編集

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