台湾唯一のハロゲン温泉―旧金山総督温泉

日台交流
日本人は温泉が大好き、私も好きですが。

裸と裸の付き合いはいまだに慣れていません。

まぁ~あと10kg痩せたら、胸を張って入れられるかもしれません?!
         (笑って飛ばして)



『光華』(2005.10月号)より転載
http://www.sinorama.com.tw/jp/current_issue/?show=1

台湾唯一のハロゲン温泉―旧金山総督温泉


台湾は世界的な温泉郷だ。冷泉、温泉、海底温泉、さまざまな源泉を持つ渓流温泉など源泉は100を超え、量も質も優れている。また温泉には医療や美容など様々な効能があり、日々盛んになるレジャーブームと相まって多くの温泉ファンが台湾各地の温泉を楽しんでいる。

1867年の大地震は、台北県金山郷に山崩れなど被害をもたらしたが、この地震で金山温泉も発見された。

日本統治時代、温泉好きな日本人が金山温泉を開発、1911年に媽祖廟の裏に簡素な公共浴場を一般に開放した。これが「旧館温泉」だ。そして1938年5月、台湾総督府は金山郷水尾港に温泉招待所の建設を決定、翌年9月から台北州が3万円で2階建ての洋館の建設を始めた。これが「新館温泉」である。

■温泉のためなら遠さも厭わない

当時、総督の小林躋造、長谷川清、安藤利吉がこの温泉に入った。彼らは軍人出身であるため、この時代は「日本統治武官総督時代」(1936~1945)と歴史的には呼ばれる。このため「新館温泉」は「総督温泉」とも呼ばれた。

当時、台北近郊では北投温泉が有名だったが、金山温泉は泉質が独特で、交通の不便さにも関わらず時の権力者がよく訪れた。当時、台北から金山へは、歩くしかない魚路古道と、台北から列車で基隆に行き、船に乗り換え金山郷水尾漁港に上陸して数分歩く方法があった。

地元には昔、安藤利吉総督が訪れた時のことを覚えている老人もいる。総督が訪れる前、地方の役人は船を岸につけさせ、総督が上陸する時に漁民に網を引くパフォーマンスをさせた。子供たちには日本の国旗を持たせ総督の温泉への来訪を旗を振って歓迎させたという。

■国防色のレンガ

総督温泉が建築された1937年は盧溝橋事件が発生、日本の中国侵略の最中だった。日本政府は戦時中であったため、台湾の建築物の外壁に防空色のレンガを使った。1920~40年代初頭の建物によく使われたこのレンガは、褐色や黄土色など光を反射せず発見されにくい。当時の北投の陶器工場も防空用の陶質「13溝面レンガ」を生産したが、これは表面に13本の溝を施したものだ。

当時建設された台北公会堂(現中山堂)や台北高等学校(現師範大学)、台北帝国大学(現台湾大学)などはどれも時代のシンボルだ。これらは、当時の総督府営繕課長で、台湾建築地方化を推進し台湾の建築物に大きな影響を与えた建築技師井出薫の設計である。総督温泉も1936年に落成した台北公会堂と同じく、外壁に草緑色の13溝面レンガを使い、費用を総督府が出したので、総督温泉の設計にも井出薫が関わったと見ていいだろう。

名建築家の設計、風景の美しさ、独特の泉質などで総督温泉は名士の接待の場となった。派手な宴会は純朴な漁村でひどく目立った。第二次世界大戦当時、地元の漁民は、見つかったら29日間拘留される危険を冒し「魚路古道」を通って無許可で台北へ魚を売った。階級の差は実に対照的である。

■荒れ放題の庭

1945年の終戦で日本人が台湾を去り、1949年に国民政府がやってきた。国民政府は大勢の軍隊を生活させる場所として、当時の許海亮郷長から総督温泉を借りた。そして温泉の穴を埋め、池を埋め立てて軍営地とした。数年後、軍隊が防衛を解除して去っていくと、総督温泉は荒れ放題になった。床、屋根、窓枠などのヒノキの木材や灰皿まで付近の住民に持って行かれ、後には壁や屋根だけが残された。雑草が茂り、土地の所有権も何度も転売され、最後には一般の人の手に渡った。時代が移
り、潮風が吹き寄せるほかは、地元の人もかつてここに温泉宿があったことを忘れていた。

4年前、金物輸出を30数年営んできた劉信雄さんが金山の海岸沿いにあった温泉のことを友人から聞き、興味を持って休日に家族と金山を訪れた。総督温泉跡地にはススキが生い茂っていたが、見晴らしがよく静かで美しい場所だった。付近の老人に聞いて見ると、確かにここが温泉跡地だと知らされたという。

そこで劉信雄さんは、4000万元で温泉跡地を購入、当初は従業員の保養や取引き先の接待用の場所を作ろうと考えていた。ビジネスの関係で海外によく行き台湾の建築物に特色がないと感じていた劉信雄さんは、総督温泉の昔の姿を再現することにした。また観光農場を管理していた鄭恵啓さんを担当者にすえ、骨組みから外壁のレンガまでこだわった。出来上がると、この温泉に入って景色を楽しみたいという地元の人や観光客が意外に多かった。近くに「旧」「金山」海水浴場があったため、劉信雄さんは「旧金山総督温泉」と名付けて開放した。

■海水ハロゲン温泉

再建工事を担当した鄭恵啓さんは、当時の特色を残すため、館内の窓や手すりにはヒノキを使い、見張り兵の部屋をそのまま入場券売り場にした。1階の昔風の浴槽は「総督の湯」で、広い空間にある原石を用いた浴槽は、この建物の中で最も高級な空間である。

当時を再現するのに一番苦労したのは、今は製造されていない外壁のレンガだ。「業者の見積もりでは国防色のレンガが138元、建物全体で1800枚必要でした。その時、陶芸家の友人が数年前、苗栗の廃業した窯で、在庫してあった古い国防色のレンガを購入したことを思い出しました」これらのレンガは当時手作業で裁断したもので、古くて形が不ぞろいだった。このため、きちんと洗浄してからでないと貼れず、職人からは「レンガも新しいのを買わないなんて、けちな社長だな」と文句も言われた。

長年の掘削で、台湾でも珍しい「海水ハロゲン温泉」が再び湧き出た。台湾の温泉の定義は温度が30度以上、泉質に指定の鉱物が1種以上含まれていればよい。旧金山総督温泉は53度で、海水温泉なのでナトリウム、マグネシウム、カルシウム、そしてフッ素や臭素などハロゲン元素の他、塩素イオンやシュウ酸塩なども含み、溶解した固体物質の総量は標準値の20倍にもなる。このすばらしい源泉で、台湾で認可された34の温泉の仲間入りを果たした。

劉信雄さんは、現在の台湾でもこれほど豊かな泉質の温泉は他にないという。泉質には鉄分も豊富に含まれ、浴槽に流れこむと空気と酸化作用を起こし、水が金色になる。このため「黄金泉」とも呼ばれる。

旧金山総督温泉の1階にある2つの露天風呂のうち、1つは屋外の庭園にあり、金山岬に隣接し海の風景が眺められ、夏は冷たい山泉スパも楽しめる。3階の貴賓風呂は全室大型マッサージ付き浴槽から野柳岬が望める。4階の女湯は陽明山国立公園の山並みが見え、夜は金山八景の1つである「水尾の月」、水尾、野柳などの海面に浮かぶ漁火が見える。

古めかしい雰囲気の中、お湯につかった後は、地元の新鮮な海と山の幸が都会から来た人の食欲を満たしてくれる。著名な温泉地は開発され過ぎ、人も多い。金山温泉の豊かなお湯、金山郷の美しい自然の風景はぜひ一度訪れたい。


『台湾の声』http://http://www.emaga.com/info/3407.html
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2005.10.24 (Mon) 19:24 | ぶらぶら散歩中♪
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